「O・J・シンプソン事件」をご存知でしょうか?
NFLでレジェンド級のスーパースター選手であったO・J・シンプソンの元妻が殺害され、O・J・シンプソンが有力な被疑者とされながらも、無罪判決となった事件です。
被疑者が超がつくほどの有名人であったことや、全米で生中継されたカーチェイスによる逃走劇など、その話題性から世界中で注目を集めました。
今回は、O・J・シンプソン事件の経緯を振り返りながら、真犯人と疑われた人物についてもまとめていきます。
O・J・シンプソンとは?
まずはO・J・シンプソンとは何者なのか、簡単にご紹介します。
・本名:Orenthal James Simpson
・生年月日:1947年7月9日
・出身地:米国カリフォルニア州サンフランシスコ
■1970年代に活躍したNFLのアメリカンフットボール選手
■プロフットボール殿堂入りも果たした国民的スター
■1979年に現役引退
■引退後は解説者や俳優として人気を博した
O・J・シンプソン事件の経緯
事件の発生
1994年6月13日の午前0時10分、O・J・シンプソンの元妻であったニコール・ブラウン(当時35歳)と、その友人であった俳優志望のロナルド・ゴールドマン(当時25歳)が、血だらけの遺体となって発見されました。
2人の遺体が発見されたのは、カリフォルニア州ロサンゼルスにあったニコール・ブラウン自宅の玄関前でした。
元妻であったニコール・ブラウンと一緒に殺害されたロナルド・ゴールドマンは、180cmの長身かつ格闘技経験も有していたことから、警察は犯人をかなりの大柄かつ腕力を持つ者と推測しました。
また現場に残された一人分の足跡から単独犯によるものとされ、そして現場には血の付着した左手の革手袋が落ちていました。
実は事件以前から、現地警察はニコール・ブラウンから以下の相談を受けていました。
- 離婚後もO・J・シンプソンに執拗に付きまとわれていること
- 「他の男と一緒にいるところをみたら殺す」などと脅迫を受けていること
そのため、現地警察は事件発生直後から、O・J・シンプソンを容疑者としていました。
事件発生時、O・J・シンプソンはイリノイ州シカゴにいましたが、警察からの連絡を受けてすぐにロサンゼルスに戻りました。
警察は飛行機から降りた直後に、O・J・シンプソン逮捕を試みますが、O・J・シンプソンの顧問弁護士であるハワード・ワイズマンが対処し、すぐに釈放されました。
全米に生中継されたカーチェイス逃亡
その後の捜査により以下の証拠が出ました。
- O・J・シンプソンの自宅から、現場にあった革手袋の右手側が発見
- 現場に残された足跡とO・J・シンプソンの靴のサイズが一致
- 現場に残された血痕とO・J・シンプソンのDNA型が一致
これにより、同年6月16日に第1級殺人罪でO・J・シンプソンの逮捕令状が下ります。
ですが驚くことに、O・J・シンプソンはマイカーであるフォード・ブロンコを友人に運転させ、逃亡を図りました。
O・J・シンプソンを乗せた車は、パトカーによる追われカーチェイスに発展。
この様子は全米で生中継され、世界中の注目を集めました。
カーチェイスの結果O・J・シンプソンは逃げ切りますが、同日の午後9時に自宅へ戻ったところで逮捕されました。
あとになって、この逃亡劇は腕利きの弁護士であるロバート・シャピーロを呼び寄せるための時間稼ぎだったのではないかと、語られています。
舞台は法廷へ
殺人容疑で起訴されたO・J・シンプソンですが、裁判は異例の展開を見せます。
被害者が白人で被疑者が黒人だったことから、真相うんぬんよりも、人種差別の問題として論じられていくのです。
O・J・シンプソンはこの裁判に挑むに際し、ロバート・シャピーロやジョニー・コクランなど、当時の最強レベルといわれた超優秀な弁護士軍団を揃えました。
当時の報道では「ドリームチーム」と評されたほどです。
裁判の行方
弁護側はまず以下を主張します。
- O・J・シンプソンにはガールフレンドがおり、ニコール・ブラウンに固執していなかったこと
- 凶器のナイフが発見されていなかったこと
- 現場に残された足跡はサイズの一致だけで、O・J・シンプソンの靴とは証明できなかったこと
- 手の傷はホテルのコップを割った際に怪我をした傷であること
そのうえでさらにで弁護側は、初動捜査に当たった刑事が極度の黒人差別主義者であったと主張しました。
示された証拠の数々が黒人差別によって捏造された可能性が高いと訴え、裁判の論点を人種差別問題へと転化させる事に成功させたのです。
その後、警察がO・J・シンプソンの血液を採取して現場に蒔いた可能性があるなど、警察側の不審な行動が多数提示され、裁判は被告側が有利に展開し、1995年10月3日に陪審員は全員一致で『無罪』とし、無罪判決を迎えました。
O・J・シンプソン事件の真相は?
裁判は無罪判決しましたが、その真実をO・J・シンプソン自身が語っていました。
2006年にO・J・シンプソンはインタビューを受け、「仮にだが…」と前置きして語ります。
・・・・・以下、O・J・シンプソン談の概要・・・・・
事件当日、俺は友人から「元妻の家で起きている事を知ったら驚くぞ」と連絡を受け、それを確かめるために手袋・帽子・ナイフを持ってニコールの家へ駆けつけた。
ニコールの家の前にいたところに、ロナルド・ゴールドマンが車で現れた。
ロナルド・ゴールドマンは、ニコールの母親がレストランに忘れたサングラスを届けに来たそうなのだが、なぜか俺はゴールドマンを怒鳴りつけた。
その怒鳴り声を聞いたニコールが家から出てきて「さっさとここから立ち去って」と俺に要求したが、そこで何事かがあってニコールが転倒し負傷した。
すると、ロナルド・ゴールドマンが空手みたいなことを始めた。
俺は「俺のケツを蹴れると思ってんのか?」と言って、ナイフを手に取った。
その後のことは正直覚えてない。
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「仮にだが…」と前置きしながら、具体的に真相を語ったのです。
さらに、O・J・シンプソンは現場の状況について聞かれ、
「あんな風に殺されたんだから、周囲にいる誰もが血まみれになる」と、自分が現場にいた事を認める発言もしました。
ただアメリカ憲法では、刑事裁判で無罪が確定したO・J・シンプソンがこの件で起訴される事はもうありません。
O・J・シンプソン事件の真犯人は?
O・J・シンプソンが犯人ではないとしたら、真犯人は誰なのか?
当然にこの議論も盛んにされていました。
有力説として、精神疾患のひとつ「ジキルとハイド病」を患っていたとされる、O・J・シンプソンと前妻の長男であるジェイソンが挙げられています。
ジェイソンはこの疾患により何度も傷害事件を起こしており、ドラッグにも手を出していたうえに、ナイフでの戦闘訓練を受けていたという経歴の持ち主でした。
ジェイソンはニコールとも交流があり、事件の当日ニコールはジェイソンが働く料理店で家族と食事する予約を取っていたとされています。
しかし、ニコールはなぜかこの予約をすっぽかして、他のレストランで食事をしていました。
これに腹を立てたジェイソンが、衝動的にニコールの家へと押しかけて殺害に及んだのが真実ではないかとうのが有力説とされています。
まとめ
今回は、NFLの元スター選手であるO・J・シンプソンが起こした「O・J・シンプソン事件」についてまとめました。
O・J・シンプソンはその後、別の強盗事件を起こして実刑判決を受けました。
仮釈放後はネバダ州でセレブな生活を送っていましたが、がんを患っており、闘病の末に2024年に76歳で亡くなりました。
事件から長い時間が経過し、O・J・シンプソンも死去しましたが、繰り返し映画化されたりドキュメンタリー番組で取り上げられるなど、事件への関心はいまだに高いミステリーです。
いつの日か真相が明らかになるときが来るのでしょうか。
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