「新1万円札は結婚式のご祝儀に適さない」という新マナーがあるとして物議を醸しています。
その理由は、新1万円札の顔である“日本資本主義の父”渋沢栄一が不貞を連想させるということからだそうです。
渋沢栄一の不貞とは何なのか?今回は、渋沢栄一の妾や愛人についてまとめていきます!
渋沢栄一の新1万円札を巡るマナー問題とは?
結婚式の祝儀といえば『奇数の枚数とする』『ピン札にする』などが一般的ですね!
これらに、新マナーとして『渋沢栄一の新1万円札を使用しない』というものが加わるというのです。
それは渋沢栄一の経済界での貢献とは別の一面である、私生活での特殊性に起因するそうです。
世間の反応
まさしく寝耳に水なニュースに、世間はさまざまな反応を示しています。
賛否両論ですが、どちらかというと否定意見が強い印象です。
そもそも結婚式そのものも家族挙式や海外挙式、あるいは式自体挙げないことも増えています。
マナーや慣習の捉え方が多様化しているなか、新マナーは果たして浸透するのでしょうか?
渋沢栄一の妾(めかけ)の数は何人?
渋沢栄一は500社を超える企業創設に携わり『日本資本主義の父』と称されます。
一方、無類の女性好きで多数の妾がいて、その間に子供もいたためかなりの子だくさんであったという噂です。
正妻とその子供たち
渋沢栄一には、従兄弟の『千代』と後妻の『伊藤兼子』という、2人の正妻がいました。
この2人の正妻との間には7人の子供に恵まれました。
この子供たち、さらにはその子孫たちも、現在までの経済界で大きな影響力を発揮しています。
- 長男:渋沢篤二 …澁澤倉庫株式会社 会長
- 孫(篤二の子):渋沢敬三 …第一銀行(現在のみずほ銀行) 取締役
- 三男:渋沢正雄 …日本製鐵株式會社(現在の日本製鐵)副社長
上記は本当に一部で、子供・子孫たちはそれぞれに企業役員や協会理事に就いて活躍しています。
妾(めかけ)とその子供たち
渋沢栄一には、複数の妾がいたとされています。
- 大内くに:渋沢栄一が大阪で出会い、その後は正妻-千代の許可を得て東京の自宅で同居していた
- 鈴木かめ:吉原の元芸妓で、渋沢栄一が68歳のときの子-長谷川重三郎を宿した女性といわれている
- 田中久尾:大内くに同様に、大阪で出会った後に、東京の自宅で同居していたといわれている
さまざまな憶測や噂で、その数は数十人に及ぶとも言われています。
公式の数は記録にないものの、妾の数は数人であったというのが一般的な認識とされています。
ただ妾もいれば複数の愛人もいたとされており、数十人というのもあながち嘘でもないかもしれません。
そして、その妾との間にもそれぞれ子宝に恵まれました。
なかでも有名なのは『第一銀行のプリンス』として頭取に推された長谷川重三郎です。
13番目の子供だから“十三”をもじって重三郎と命名されたといわれています。
渋沢栄一の妾との間の子供は少なくとも7人いたとされています。
渋沢栄一の子供たち
正妻の子と妾の子とを合わせて、渋沢栄一には果たして何人の子供がいたのでしょうか?
渋沢栄一が亡くなった後、財産管理を目的に子供たちによって『渋沢同族会』が発足されました。
この会には、公式に認知された者しか入ることが認められず、その人数は十数人であったとされています。
ただ複数人いたとされる妾や愛人の子を含めると、50人という数字も真実味がありそうです。
まとめ
今回は、渋沢栄一の妾や愛人についてまとめました!
妾や愛人またその子供たちも含めるとかなりの数の関係性があり、当時からしても特殊であったと思います。
一方で、幕末~近代という波乱の時代を商家で生きた渋沢栄一の、多様な背景が映し出された逸話にも思いました。
果たして新1万円札のマナー問題はどのように受け止められていくのか、注目ですね!
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